フランスあれこれ

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外資系航空会社客室乗務員を経て鑑定士になる。 『魂の遺伝子コード』を学び日本古来の智恵の素晴らしさと人それぞれが持つ「魂の役割と使命」について知る。

 

 

義母の84歳の誕生日。

お宅でお昼をご馳走になりました。

本来なら私が手料理を振る舞ってお祝いすべき

なのでしょうが、義母はいつも招待してくれる

ので甘えてしまっています。

 

義母は料理がプロ級です。

バターたっぷり、味付けしっかりの昔ながらの

フランス料理は、たまに食べると感動的に

美味しいのです。

 

義母をはじめとして、その時代の女性の多くは

専業主婦で、今よりずっと台所に立つことが

多かったと思います。

とは言え、鳥からジビエまで毛をむしり解体

するところから淡々とこなし、生きたエスカルゴ

が鍋の内側を這い上がってくる状況にも動じない

義母はシュールでした。

 

しかも手入れされた真っ赤なマニキュアが

光る手で、動物を捌く光景はワイルドで

かっこよかったです。

 

昔は毎日、昼も家で食事をする夫のために

フルコースのメニューを作っていて、突然の

大人数での来客にも魔法のように食事を

振る舞っていました。

夫を亡くしてからは料理へのパッションも

失せていき、最近はシンプルな料理しか

しなくなりましたが、この日のメイン料理は

得意のレシピであるウズラのローストでした。

 

味わい深くジューシーなウズラの肉を骨まで

しゃぶりながら、彼女の人生に思いを馳せました。

 

いつものように義母の幼少時からの苦労話が

はじまります。

そして「私の人生は辛いものだったわ」という

言葉には静かな怒りが滲んでいます。

 

義母の人生は、苦労続きでした。

母親を7歳で亡くし、戦時下で幼い妹弟3人の

面倒を見ながら、父親が経営していたパリの

小さな雑貨店を朝から晩まで手伝う毎日。

牛乳瓶を毎日洗い、ケースを持ち運ぶ重労働は

少女の身体をボロボロにしました。

 

20歳頃からの不眠症に加え、多くの病気も併発

して手術は8度、今でもザル一杯になるほどの

薬を服用しています。

 

25歳で夫と出会い、やっと手に入れた自由な生活

でしたが、再婚の夫の7歳になる男の子の母親業を

任されます。

自由もなければ楽しい新婚生活も味わえぬまま

再び良妻賢母の役目を負わせられました。

そして私の夫となる男児を妊娠出産します。

 

連れ子に悲しい思いをさせぬよう、自分の子

には2倍厳しく躾をしたという義母。

私の夫もいい迷惑ですよね(笑)

義兄ちゃんは怒られないのに自分だけは酷く

怒られる、ということがよくあったそうです。

 

 

ここで『魂の遺伝子コード』の情報番号で義母を

見てみることにします。

義母は小さい頃から金髪碧眼のお人形さんのような

容姿で、父経営のお店に来るお客さんの人気者

でした。

 

ダンスが大好きでタップダンスなどもできたそうで

将来は舞台で踊ることを夢見ていました。

エナジーを見ると、それこそが義母にとって

ピッタリの仕事でした。

人前に出て目立つ仕事が、まさに最適な役割

だったのです。

 

どちらかというと、家庭の主婦には全く向いて

いないタイプでした。

 

義母が自分の息子を出産した際、あまりの

難産で出産後爆睡しまい、看護婦から

24時間後に子どもを抱かされた時にも

「あまり嬉しくなかったのよ」と言って

周りを笑わせていました。

 

一方、夫(義父)の価値観はというと

『家庭』や『母親』が人生に重要な意味をもつ

エナジーの人でした。

ですので、義母に対して良妻賢母を期待するのも

ごく当たり前なのです。

 

時代も時代で、女性が自分の生きたいように

生きることは難しかったでしょう。

病気と痛みを抱えながらも、84歳になった今も

なお、真っ赤なマニキュアを塗り、ブルーの瞳

に合わせたアイシャドーできちんとお化粧を

し、花を飾ることを欠かさない義母の『強さ』

には脱帽します。

 

と、同時に、自分が犠牲になり我慢をすることと

幸せは両立しないことを再確認した午後でした。

 

 

 

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